【黒ウィズ】フェアリーコード Prelude story2
story
かちゃかちゃと、食器の鳴る音だけが響<。
ソウヤは、向かいに座る娘の様子を注意深く見つめた。
黙々とムニエルを切り分け、口に運ぶ。その瞳はどこを見ているともつかず、ただ茫洋とさまよっている。
ムニエルを食べ終わると、今度は横のサラダにフォークが向いた。レタスを突き刺し、ぱくりと食べる。
答えはない。事務的とさえ言っていい動きで、また新たなレタスを突き刺し、食べる。
やはり、答えない。そもそもソウヤを認識しているのかどうか。
食事にしても、必要な栄養分が目の前に提示されたから摂取しているだけ、という風にしか見えない。
ソウヤは、深い嘆息を吐きたくなるのをこらえた。自分のせいでため息を吐いている――などと娘に思わせるわけにはいかなかった。
たとえ、今の娘に、そんな情緒が微塵たりとも残っていないのだとしても。
そんな会話を交わしていると、ルミスがふわっとトヨミの後ろに現れた。
ひょいひょいと、トヨミの髪をつかみ、本人に見えないところで勝手に三つ編みにしていく。
リレイは思わず周囲を見回したが、誰もルミスに気づく様子はない。
ルミスが、取り出したフィドルを軽く弾く。
すると、トヨミの顔が一瞬で「へのへのもへじ」に変化した。
あまりのことに心臓を噴きそうになった。
ルミスはゲラゲラと笑った。
そのとき、クラスメイトがひとり、教室に入ってきた。
リレイは、あわててトヨミを止めようとした――が。
「へのへのもへじ顔」の友達が迫ってきても、サキは驚くばかりか見向きもせず、黙々と机に向かった。
ルミスは、まじまじとサキを見つめ、ぽつりと言った。
リレイは、茫然とサキを見やった。
サキさは、ぼうっと虚空を見つめている。まさに、心ここにあらず、という感じだった。
それに。
聞こえない。何も。彼女の気持ちをあらわす音が、かすかにも。
リレイは、ぞっとなってルミスの方を向く。
ルミスは、不機嫌そうにうなずいた。
***
あの子だけじゃない。どうやらいろんな人間が、音を喰われてるみたいよ。この街で。
答えると、ルミスはあきれたように言った。
夜になってもルミスは小さいままだった。小さくなる分には、昼夜は関係ないらしい。ふよふよ浮く彼女をリレイは恨めしく見上げる。
はあ、と肩を落として歩いていると、ひとりの女生徒とすれ違った。
よその学校の女子だろう。淑女然とした歩き方で、しずしずと通り過ぎていく。
リレイは思わず振り返った。
***
少女を追って路地裏に入った瞬間、背の高い男性とぶつかりそうになった。
と、少女の向かった方角を指差しかけて、リレイはちょっと考えた。
不審者でないことを証明するためだろう。男性は、スッと名刺を取り出し、渡してきた。
(紅鬼(あかぎ)ソウヤ)
この近辺にある、リレイが通っているのとは別の高校の、音楽教師であるという。
騙してやろうとか、嘘をついているとか、そんな感じの音はしない。純粋に心配そうな音色が流れていた。
改めて少女の向かった方角に進んだが、その影すら見つけることはできなかった。
付き合わせてしまって悪かったね。君も、早く帰った方がいい。近くまで送るよ。
そう言われては、無下にもしがたい。リレイはうなずき、路地裏から出る方向へと歩き出した。
『そうそう。あなた、何か使い慣れた楽器はある?あるなら、普段から持ち歩いておいて。
フェアリーコードを使えば、楽器に干渉して、武器にすることができる。その方が、強い音を奏でられるのよ。』
嘘をつくことへのうしろめたさを感じながら、リレイは、なぜギターを弾くようになったのか、ソウヤに説明を始めた。
――小さい頃、リレイは悩んでいた。
フェアリーコード――”場に流れる旋律”が聞こえるのだと友達に言っても、そんなわけがないと馬鹿にされ、笑われていたせいで。
嘘つき。人気者になりたくて調子に乗ってる。頭おかしいんじゃないの?
そんな風に言われ、落ち込み、泣きながら父に相談すると、父は笑顔でこう言った。
「おまえの言う音は、俺にも聞こえない。たぶん、他のみんなにも。でも、その音は、きっと確かにあるはずなんだ。
人の気持ちは、音色なんだ。俺なんか、それを形にしたくってギターを弾いているようなもんさ。
すごいことだぞ、リレイ。俺が苦労して再現しようとしている音色が、おまえにはばっちり聞こえてるんだから。マジで羨ましい。
もちろん、おまえの心だって音を奏でてる。周囲の音なんて気にすることないさ。うまく合わせて、ノリこなしちまえ。」
そして、ギターの弾き方を教えてくれた。自分の心に流れる音を表現する方法を。周囲の音に相乗りし、乗りこなす方法を。
以来、リレイはそれで悩むことはなくなった。
人の心や場の音色が聞こえることを長所と捉え、人の気持ちや場の状況に”乗って”、”うまいことやっていく”すべを見出した。
フェアリーコードに関してはぼかしながら語ると、ソウヤは目を細めてうなずいた。
そのおかげかな。君も、すごくいい音をしている(・・・・・・・・・・・)――
リレイは、見た。
いつしか。ソウヤの瞳が、赤い光を放っていた。闇に咲く華のように、麗し<、鮮やかに。
見ているだけで、呑まれそうになる。視線が、心が吸い寄せられて、目を離せなくなる。
音を、捧げたくなる。
リレイは、ふらりと1歩を踏み出した。無意識に。そうしなければという理由のない使命感に駆られて。
夜空色の光が宙を断った。
リレイの懐から飛び出したルミスが、元のサイズに戻りざま、ソウヤに向けて大剣を振り抜いていた。
咄嵯に跳びずさり、剣撃をかわしたソウヤヘ、ルミスは細剣の切っ先を突きつける。
ソウヤの左手から、血飛沫が噴き出した。
いや。違う。”翅音”だ――血のように紅く輝く”翅音”。
ソウヤ自身の瞳もまた、同じ光を宿して夜間に揺らめいている。
この男――吸血鬼よ!
煮えたぎるような怒りの声が、ソウヤの口からこぼれた。
叫び、スーツの内側から何かを取り出す。
それは、巻物のようにパラリと解け、男の周囲でとぐろを巻くように踊った。
丸められるほど薄い、携帯用の電子ピアノ。きわめて今時のガジェットが、男の手の中で形を変え、まるで違う輪郭を浮かび上がらせる。
刃に牙めいた鍵盤の生えそろう、不気味な美しさをたたえた大鎌を。
音が変わる。鮮烈にして孤高なる闘志を秘めた、麗しき血華の音色へと。
夜空色の大剣を携えた妖精と、牙めいた大鎌を携えた吸血鬼。
ふたりは明確な戦意をたたえて対峙し――
リレイが止める間もなく、激突した。
story 勝利の旋律
夜空色の大剣が唸る。流麗にして豪烈なる剣舞が、気高い音色と共に夜を裂く。
ソウヤは慣れた手つきで大鎌を振るう。繰り出される剣撃のことごとくを受け切り、隙をついて長い脚で蹴り払った。
ルミスは俊敏に蹴りをかわした――直後、背後から殺気が吹きつける。
コウモリのような形状の”翅音”。ソウヤ自身の”翅音”から切り離され、自律してルミスの背後に回っていた。
喰らいついてくる”翅音”を細剣で払う。そこへ、ソウヤが大鎌を振るった。
挟撃。牙と鎌とが、ルミスに躍りかかる。
たん、とルミスがステップを踏んだ。
さらりと大鎌をかいくぐり、ソウヤヘ迫る。
背の”翅音”で加速しての飛び膝蹴り。ソウヤは咄嵯に左手を滑り込ませ、紅の”翅音”で受ける。
ふたりは距離を取り、構え直した。
いかに自らの音色を響かせ、敵の音色を圧倒するか。これはそういう戦いでもあった。
「フェアリーコードを操る者同士の戦いは、いかにして”勝利の旋律”に至るかが鍵よ。」
戦いを有利に運べば、自分の音色で場を支配できる。その優勢が続けば、やがで勝利の旋律、を流すこともできる。
そのためには、不安や弱気は禁物だ。ふたりは今、どちらも”絶対に勝ってやる”と闘志を燃やし、ぶつかり合っている。
と。
リレイは気づいた。
ふたりの戦う音色にまぎれ、何か、かすかな音が聞こえてくる。
ひょっとして、と思うや否や、リレイはギターケースからギターを取り出し、それを大きな銃へと変える。
そして、互いに踏み込もうとしていたルミスとソウヤ、その中間地点に、渾身の弾丸を撃ち込んだ。
――ふたりが、ハッとリレイの方を向く。驚きで戦いの音色が止み、場に無音が満ちていた。
それで、はっきりと聞こえるようになった。
あるべき音が歪んで外れたような、おぞましくも不気味な音色が。
ソウヤは頭を振り、音のする方へ駆け出した。
目の前に、倒すべき妖精がいる。だが、自分の生徒を放ってはおけない――そんな焦りが音となって撒き散らされた。
***
>犯人を追うにゃ!
あいつから、いろんな音がする。あいつは人を襲って音を喰らい、それをあの子に分け与えていたのよ!
怒声とともに、”翅音”が震える。リング状の音の刃が無数に吐き出され、ソウヤヘと飛来した。
ソウヤが身をひねり、大鎌と”翅音”、とで音の輪刃(ソニックチャクラム)を迎撃している間に、ルミスが疾走。
2度、3度と連続して斬りつける――が、妖精の”翅音”は高速でこれに即応し、苛烈な撃ち込みを力強く弾いてのけた。
後退するルミスヘ音の輪刃が飛ぶ。
リレイは銃の構造を速射用に切り替え、立て続けに発砲して輪刃を撃ち落とした。
妖精が猛る。なおも数多の輪刃が放たれ、空を裂く。
サキを初めとして、きっとたくさんの”強い音色”を持つ人から音を奪った。それで妖精自身の音色が極端に強化されている。
ソウヤの左手が伸びた。”翅音”を牙のごとく先鋭化させ、妖精の”翅音”へと叩きつける
鍔迫り合いのように、火花が散った。至近距離。噛みつかんばかりの勢いで、妖精に問いを叩きつける。
妖精の音が膨れ上がり、衝撃波となってソウヤを吹き飛ばした。
この子は、コンクールで優勝しないとお父さんにいじめられちゃうのよ!?
ソウヤが、ぽかんと口を開けた。妖精はほとんど号泣しながら、激しくまくしたてる。
だから開いた音をわけてあげなきゃいけないの!きれいできらきら輝く音を!そうしたら、この子の音はきれいに開くのよ!!
響く。音が。心からの哀れみと悲しみに満ちて。
心の音は嘘をつかない。彼女が本心から、琴崎という少女を哀れんでいることは、疑いようもなく明らかだった。
ぶたれて、ぶたれて、足蹴にされて!それでもがんばらなきゃいけないなんて――そんなの、悲しすぎるじゃないのおっ!!
涙のように、音が散る。あまりにも悲痛な叫びを受けて、ソウヤは完全に言葉を失っていた。
結果を出さねば父に虐待される少女――虐待されるがゆえに結果を出せない少女。
その苦しみと悲しみを吹き払い、彼女を幸せにしてあげたい――そんな思いが、音となって押し寄せる。
純粋なる善意。あまりにも純粋すぎて、他のどんな色すら混じりようがない。
たとえば――少女を救うために襲った人たちへの哀れみや罪悪感は、すべて、”かわいそう”という思いにかき消されてしまっている。
絶叫。音が爆裂する。ソウヤもルミスも、”翅音”を楯にして耐える。
そのさまを見て、リレイは確信した。
だったら!)
リレイは、銃と化したギターの弦に指を添え、思いを込めてかき鳴らす。
ルミスが、ソウヤが、ハッと振り向く。それだけの力が、その音色にはあった。
気持ちのすべてを音に変えるべく、リレイは一心不乱に旋律を奏でた。
音を喰われた人々を助ける。哀れみに溺れた妖精の暴走を止める。妖精に魅入られた少女を救う。
そのためには、力を合わせなければならない。
隣にいるのが誰だろうと。互いにどう思っていようと。
なすべきと信じたことをなすためには、持てる力を束ねなければならない。そうしなければ、誰も救えない!
思いを。気持ちを。音で伝えて、少女は叫ぶ。
ソウヤとルミスは、一瞬、視線を交わした。
互いに対する不信の色が、火花を散らして混じり合う。
が。
応え、ふたりは並び立った。
信頼はない。信用もない。
だが、少なくとも。
”救うために戦う”――そんなリレイの音色に、乗ると決めた。それだけは確かだった。
***
>あの子を助けるにゃ!
大剣と大鎌が、同時に妖精に襲いかかる。妖精は、左右の”翅音”でこれを受けた。
瞬間、リレイは引き金を引いた。放たれた音の弾丸は、”翅音”の合間を縫うようにして妖精の胴を直撃する。
妖精が悶え、”翅音”が乱れた。直後、ルミスとソウヤの放った一閃が、ほぼ同じタイミングで胴を薙ぐ。
怒りに任せて輪刃を飛ばそうとするが、その前にリレイが速射を見舞った。弾丸の雨に撃たれ、妖精はよろける。
さらにルミスとソウヤが猛追。双方向からの一撃を浴びせ、妖精を大きく吹き飛ばした。
これで勝てないはずがない。そんな確信が、リレイの音を昂らせる。
リレイは渾身の気合を銃に込め、音へと変えて撃ち放つ。
弾丸は妖精を直撃し、その肉体と”翅音”のすべてを、木っ端みじんに打ち砕いた。
最終話 そして――
ソウヤは、くたりと倒れ伏した少女を抱き上げる。
少女から――そして倒れた妖精から、さまざまな音色があふれ出し、どこへともなく流れていった。
ルミスの掌から、小さな音が飛び立っていく。やわらかで、優しげな音色――きっとあの妖精のものだろう。
はばたいていく音色たちを、ソウヤがジッと見つめていた。
でも、それは大昔の話だ。今の時代を生きるのに、吸血鬼の力なんて必要ない。
あれは……すまなかった。まだ、この力に慣れていないんだ。
それで実際、誰かの音を喰ってしまったらどうするつもり?
なんとかしてみせる。僕ひとりでは難しいけど、事情を知ったら助けになってくれる人はたくさんいるはずだ。
みんなで、この子を助けるよ。誰もこの子を助けてくれないなんて――そんなことのないように。
妖精って、そんなにあちこちで事件を起こしてるの?
妙に妖精が多いの。だから、暴走する妖精の数も、よそに比べたら断然多い。
あたしがここに来たのも、そういう噂を聞いたからなのよ。
ひょっとしたら、この街――他と違う何かがあるのかもしれないわ。
びょうびょうと、風が吹く。
背の高い建物に挟まれた風が、逃げ場を求めるように駆けてきて、髪や衣服をはためかせていく。
見渡せば、光。天の星々が総出で引っ越しを決意したように、地上にはきらびやかな光があふれている。
知らない土地。知らない街。知らない風と知らない光が、淡く君たちを撫でていく。
さあ――と、君は首をかしげるしかなかった。
番外編
story でもってフェアリー
……あれ?先生、吸血鬼ですよね。こんな昼間に出歩いてて、大丈夫なんですか?
知り合いのほとんどいない飲み会とか……そういうの苦手かな……。
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