【黒ウィズ】フェアリーコード2 Story3
フェアリーコード2 Story3
目次
story1 白のクラッド
どういたしまして、とハビィが答える。あと、お昼休憩の終了時刻まで、残り15分だよ、と。
その言葉を待っていたように、ハビィが会社までの近道ルートを検索提示した。
ハビィの道案内に従い、細い道を通っていくと、行く先に、細身の男性が立っていた。
ハビィが警告音を鳴らした。ミホロは、びっくりして足を止める。
男は、すっと目を細め、ターンテーブル状の機械を取り出して、円盤をスクラッチした。
きらめく翅音が広がり、男の身体を覆っていく。
情念装甲――〈スピリットクラッド〉。心の音色で織りなされた鎧となって。
渡してもらおう。いや――返してもらおうか。
男が、1歩を踏み出した。
装甲が擦れ、がしゃりと重い音を立てる。ミホロは息を呑み、思わず後ずさった。
ハビィが電子音を鳴らした。その音から、激しい怒りと強い恐れを感じ取り、ミホロはハッとした。
ハビィは、生まれてすぐに、自分が造られた研究所を飛び出したという。だから、そこで何が行われていたかはハビィも把握していない。
だが――
ミホロは、きっと相手を睨み返した。
怒りと恐れは、ミホロの中にもある。しかし、それ以上の音色が、彼女にこれ以上後ずさらせることを許さなかった。
ミホロは、そっとハビィに手を添えて、円盤状のパーツをスクラッチした。
ふたりの音色が交わり、澄んだ音色の翅音となる。怒りと恐れ――そしてそれ以上の強い気持ちが、ふたりのための鎧に変わる。
互いを守るための――そして、手を取り合って立ち向かうための鎧に。
***
男が手にブレードを抜き放ち、斬りつけてくる。
音の刃だ、とハビィが警告する。翅音をブレード状にして、超音波メスのように高速振動させている、と。
男は背部から〝音”を噴射し、その勢いで猛然と迫る。
振り抜かれる刃を、ミホロはかいくぐってかわし、相手の懐に飛び込んで拳を撃ち込んだ。
ハビィが計算提示した最適な動き。本来ならミホロには不可能な動きでも、音を重ねた今なら、瞬時に実行できる。
拳打を叩き込まれ、男がよろけた。
ハビィは追撃を推奨。ミホロは即座に従い男に詰め寄る。
男の胸部から、〝音”の衝撃が放たれた。
至近距離。かわしきれない。ミホロは強烈に弾き飛ばされた。
ハビィの警告。逆に男が追撃してくる。翅音のブレードが、頭上に迫っていた。
ハビィの助けがなければ、ミホロはただのOLだ。迫り来る刃を前に、なすすべなどない。
翅音のブレードが、ミホロの左肩から右脇腹までを、袈裟懸けに通過した。
男の身体から翅音が剥がれ落ちていくのを、ミホロは茫然と見つめた。
ミホロの身には、傷ひとつなかった。斬りつけられた瞬間、翅音のブレードから敵対の意志が失せ、無害な音になっていた。
小さく微笑み、男は頭を下げた。
確かに――戦いの中で聞こえた彼の音色は、何かを見極めようとするような冷静なもので、こちらに対する強い害意はなかった。
だからって、完全に信じられるわけじゃないよ、とばかり、ハビィが不機嫌な音を鳴らす。だって、いきなり襲いかかって来たんだもの。
冗談めかした物言いでハビィの声を受け流し――男は、ふと真剣な表情になった。
ひとまず、話だけでも聞いてくれないか?
どうする?とハビィが聞いてくる。
ミホロは、はあ、とため息を吐いた。
story2 天へ
で、誰先生?
あれ、なんで自宅知ってんの?
タツマは答えず、無言でソウヤにメッセージを飛ばした。
***
ソウヤは、ちらりとリビングのテーブルに視線を向けた。
タツマの連れてきた少年が、そこに座っている。
何を見るともなく、ただ、ぼうっと宙を見つめているだけだった。
そう言って、ソウヤはスマートフォンを取り出す。
そのとき、リビングの扉を開けて、ユリカが中に入ってきた。
ユリカはうなずきもせず、歩いてくる。心の音色を奪われた彼女は、ふたりの客にも興味を見せることはない。
ユリカがテーブルの脇を通り過ぎようとしたとき、席に着いていた少年が、ふと立ち上がり、彼女の前に立った。
ユリカは足を止めた。目の前に障害物が現れたから、止まった。そんな動きだった。
少年が、茫洋とした表情のまま手を伸ばす。
スッと――無造作に。ユリカの小さな頭へと。
ソウヤはあわてて駆け出し、少年の指先がユリカの髪に触れた瞬間、ユリカを抱きしめるようにしてかっさらった。
……え?ユリカ?今――え?
ソウヤは、ぽかんと口を開いた。
腕の中のユリカは、相変わらず、感情を感じさせない目でこちらを見上げている。
だが――吸血鬼としてのソウヤの感覚は、確かに感じ取っていた。
ほんのわずかに、音が聞こえる。人の気持ちが鳴らす、感情の音が。
タツマは少年に目を向けた。
少年は、手をかざした姿勢のまま、無言で佇んでいる。
少年は答えず、窓の方に歩き出した。
少年の身体が、ガラス窓をすり抜ける。
少年は幽霊のように、何の抵抗もなくガラス窓をすり抜け、外へと踏み出し――ふわふわと空を歩いていく。
タツマは苛立ちを吐き出し、外に出るため玄関口へと向かった。
story3 過去の叫び
いつしか、雨が降っていた。
打ち下ろすように雨が降り、激しい風が吹き荒ぶ。
まるで空に拒まれているようだ――そんな思いが、タツマの苛立ちを増幅させる。
なのに、自分は拒まれ――あいつは、悠々と空を渡っている。
ふわり、ふわりと。翅音ひとつ広げていないのに、まるで彼自身が羽であるかのような歩みで、風雨ざわめく空をゆく。
その仕草が、無性に癇(かん)に障(さわ)った。
タツマは翅音から音を噴き出し、加速した。
ー気に少年に追いつき、その手をつかむ。
瞬間、何かが流れ込んできた。
音。
炎のように熱く、雷のように雄々しく、雨のように激しく、風のように爽やかな音が、ドッとタツマの心に押し寄せる。
「許さぬぞ――ラプシヌプルクル!断じて許さぬ!
我を――地上の塵芥どもなぞのために、我を!」
「我が火を受けよ――断魔守(たつまのかみ)!」
(これは――この音は!あのときの音だ俺が、俺が龍でなくなったときの!
俺を墜とした――〝奴”の音色だ!)
タツマは、カッと眼を見開いた。
タツマの内側からも、音があふれた。激しい怒り、無念と屈辱、そして悲しみ……。
制御しがたい激情が、行き場を失った雷のように、自らの内側で荒れ狂い、跳ね回るのを感じた。
かつての自分が、墜ちながら抱いた音。自分を墜とした相手に向けた音――
タツマは吼えた。胸に轟く音色のままに。
そのとき、猛烈な音が天から轟き、翅音の刃となって降り落ちた。
咄嵯に後退するタツマの眼前を、ガラスのくちばしのように鋭く尖った戦鎚の先端がかすめていく。
それを手にした男が、楽しげに微笑む。
タツマと少年――その深い因業を断ち割るように両者の間に立ちはだかって。
天に昇るには、まだ、な。
***
杖と戦鎚が交錯し、互いの音がぶつかり爆ぜる。
荒ぶり猛る音色を込めた、渾身のー撃。しかし男は、これを軽やかに撃ち払った。
蹴りが来た。
ぐらりとよろけるタツマの頭部に、無慈悲な戦鎚の先端が馳せる。
紅い軌跡が割り込んだ。振り上げられた大鎌が、戦槌の一撃を受け止める。
すんでのところで教え子を救ったソウヤは、キッと目の前の男を睨みつけた。
ラファールは、興味深そうに笑った。
その後ろでは、少年がゆっくり大地に降りようとしていた。
追いかけようとするタツマを、戦鎚が襲う。頭を吹き飛ばされる直前、タツマは辛うじて杖でみれを受け止めた。
タツマは歯噛みし、ラファールに向き直る。
悔しいが、これはどの音を持つ悪魔を振り切る力はタツマにはない。
あいつが去るか、おまえたちが死ぬか。どちらにしても、すぐ済むさ。
***
球状の翅音と蝸蟻状の翅音が、挟み込むように男を狙う。
対して、男も翅音を切り離し、射出した。ガラスの羽のような細かい音の刃が、タツマとソウヤの麹音に突き刺さる。
双方の音が弾け、激しい衝撃が空を揺るがす。
体勢が崩れたところへ、疾風が来る。戦鎚の先端が、雷のごとくタツマを襲った。
ソウヤが割り込み、己の翅音を楯にした。タツマも自らの翅音を前面に展開し、二重の障壁で戦鎚を受け止める。
そのまま、ソウヤは自分の翅音を散させた。純粋なる音の詐裂が、両者の間で弾ける。
音の衝撃が、両者を大きく突き放した。
男は後方を見やった。
少年の姿は、もはやどこにもない。
つぶやいて、男は身を翻し、疾風の速度で飛翔した。
タツマは激しく顔を歪めたが、それ以上抗弁することはなく、ただ唸るような苛立ちの声を吐き出した。
だが、今は勝てない。龍ではないから。
勝てるはずの敵に勝てない――その屈辱は、龍の尊厳を胸に抱くタツマにとって、耐えがたいほどの苦しみだった――
story4 龍の残響
君たちは、いつものファミレスに集まった。
新たな敵、悪魔ラファールが現れたことをソウヤたちにも知らせたのだが――
ルミスは、ちらりと見慣れぬ男性に目を向けた。
金森――そう名乗った男性は、熱い緑茶で喉を潤している。
とにかく、少しだけど、ユリカの音が戻った。あの少年がユリカに触れたことで……。
〈HEARTBEAT〉に心の音色が生じたのも、エコー体を使った実験の成果だ。実際には偶然の副産物だが。
ハビィが、驚いたような電子音を発した。
あのエコー体を手に入れたことで研究は加速した。逆に言えば、エコー体なしには、治療法の糸口すら見つけられない。
なんとしても、エコー体を取り戻さねばならない。だから、頼む。確保に協力してほしい。
暴走妖精が増えたら、フェアリーコードが乱れやすくなるんだよね?と君は言った。
ふざけるな――彼奴は我が敵!我を天の高みから墜とした憎き仇だ!余さず微塵に砕かねば、我が雪辱は果たせえぬ!
彼奴は我が始末する――あの忌まわしい音色を乱離粉灰と砕き尽くし、かけらも残さず消してくれるわ!
落雷のような叫びを放ち、タツマは身をひるがえした。
席から走り去っていくタツマを、ミホロが追う。リレイが、困ったような顔でソウヤを見た。
ソウヤは嘆息し、おもむろに立ち上がる。
……このままここにいるのも、気まずい。
タツマの叫びを聞いたファミレスの客たちが、君たちのテーブルになんとも言えない視線を注いでいた。