【黒ウィズ】新人王2016 ヴァレフキナ編 Story
2017/03/31 |
目次
主な登場人物
story1
雲ひとつない空から陽の光が降り注ぐ。
うねる海面がギラギラとその光を乱反射させる。
波が青いキャンバスの上に白い描線を描いていた。
世界には自分と海しかない。
海と自分の内省的な距離が、寄せる波、退く波のように、近づいては離れていく。
何時間でもそうしていられる。
と、シミラルは思っていたのかもしれない。
そこへ主の声が届く。
「そろそろ行こか。」
魂が肥大化し、世界を破滅に追い込んだ怪物は、ふたりの活躍によって海の藻屑となった。
この海と空しかない世界は救われた。
自分たちの目的が達成されたのなら、長居は無用。
自分たちは死を司る世界からの使者。
輝かしい生命の光が溢れる世界にいてはならない。
それはシミラルもわかっている。
「行きたくないやで。」
「わがままやな、キミ。」
彼女がわがままを言う理由も承知している。
ヴェレフキナの口調はまだ優しげである。
「そんなことないやで。」
「キミ、ボクの口調真似するけど、それ完全にボクのこと馬鹿にしてるよね。」
ヴェレフキナの言葉には何も返さず、虚ろな少女は海を見続けている。
「そんなことないやで。」
「いや、もうそれ完全に馬鹿にしてるよね。そういうのアカンよ。」
ヴェレフキナも説教を止める。
もうそれ以上何も言う必要はない。
「キミ、海に興味があるんか?」
「そんなことないやで。死界には青い海がない。だから少し珍しく思っているだけだ。」
「せやな。死界の海はこの海とは違う。」
死した魂が生み出す憎悪や後悔が、死界の海には渦巻いている。
あるものは、ただの混沌。
けれどもこの海には、生きることへの活力を生み出す何かがある。
言葉ではなく、ただ見つめるだけでそれが伝わってくる。
魂に。
「ヴェレフキナは青い海を見たことがあるのか?」
「ある。ずいぶん前にやけどね。」
story1-2
「お前たちに生きる資格はないんだ、ウスノロ。」
青白い手がぼんやりとした光の方へ伸びていく。
光は霧のようにたゆたい、揺らめく。
電撃の明滅がおぼろげな輪郭を時折浮かび上がらせた。
それは人のような顔。
しかもそこにあるのは恐怖や恐れといった感情。
「大人しくしろ。」
手が、恐れ戦く相貌のすぐ下、その喉元を掴む。
「はは。」
恐怖が苦痛へと変わるさまを見て、口角が持ち上がる。
おぼろげな光は、少年の手の中で消えていく。いや、握りつぶされていく。
「悪さをする奴は、消えろ。」
その頃のボクは、はっきり言うて、調子に乗ってた。
あんまり良くない方にな。
若気の至り。ガキやった。
「あなたに処理を頼んだ魂が私の元に来ないわよ。」
「悪い、潰した。」
悪びれる様子はない。
謝罪の色合いも言葉通りにはない。
「頼んだのは、魂をここに送り返すことだったはずだけど?」
「悪い魂を処分したことには変わりない。何か問題か?」
「一応、死にも摂理はあるわ。輪廻っていうものがね。」
説教をしている?
イザヴェリの意図を確かめるために必要なのは鋭い睨みである。
「何か……。問題か?」
言葉の上でも、この世界での役割の上でも、ふたりは対等である。
対等でないものがひとつだけある。それがイザヴェリの背筋を舐めた。
ゆっくりと冷たい舌が背中から首の裏まで上がってくる。
首に絡まる死の感触。
「…………」
「話がそれだけなら、もう帰る。」
イザヴェリの首に絡まったそれが徐々にほどけてゆく。
残るのは味わった屈辱のみ。
「なんでえ、あの生意気なガキは。偉そうにしやがって。アッシがいっちょ卜っちめてやりましょうか、姐さん。」
「やめなさい。」
「どうしてでさあ。姐さんの一声で、アッシあ、あの野郎ぶっ飛ばしてきますぜ!」
「無理よ。彼は私より強い。それこそ倍は強いわ。」
「ば、倍ぃ……!」
実際、ボクには異界を自由に移動する能力と、圧倒的な魔力があった。
生まれなからにね。
それはボクが魂に関わる不祥事すべてを、解決する役目を担っていたからや。
でも、調子に乗り過ぎたら痛い目見る。それが世の常や。
story1-3
男はその日の朝死んだ。
目覚め、鍋の中に水を張り、コーヒー豆をひと掴み放り込んで、たき火にかけた。
まだ朝の冷気があたりに立ち込めていた。
湯が沸くのを待つうちに、霧が出る。
朝の冷気が朝陽の暖かさに、自らの支配権を譲る代償として、生み出された霧。
視界を覆うその霧をぼんやりと眺めながら、男は次の街までの道中を思いやっていた。
だが、彼の傍に来ていたのは死。
毛むくじゃらの黒い毛をはやした死である。
男は死んだ。
森の獣に襲われ、死んだ。
よくある死に方だった。
日が昇りきり、男の流した血が渇いた頃、男は目を覚ます。
引き裂かれた肉は、再生を始める。だが元通りには戻らない。
彼の”元”が違うのだから。
別の形になり、男は目を覚ます。
「さて、仕事だ。」
ヴェレフキナが探していたのは、女の魂だった。
女はその身を悪しき魂へと変化させていた。
その理由については。
「良くある話だな。くだらない。」
としかヴェレフキナは思っていなかった。
彼が必要としていたのは、女の魂の処分である。
この世界に残り、悪影響を及ぼす魂を死界に返すことだ。
「あなたこの辺りじゃ見ない顔やね。ずいぶん妙な恰好して。」
「見ない顔……。見ない顔ね。」
「何をブツブツ言ってるん?」
「この辺りで、疫病が流行ってると聞いた。知らないか?」
「疫病? そんな話聞いたこともないわ。」
「あ、そう。」
「……なに?」
「鼠が多いな、この辺りは。」
「そうなんよ。本当に嫌な感じ。明日、行政官に駆除をお願いしに行こうと思ってるんよ。
あの忌々しい鼠どもを何とかしてくださいって。」
「行政官。あの黒く干乾びたのがそうか?」
ヴェレフキナが指さした先には、”それ”があった。
女はそちらを見ない。
「あなた、気持ち悪い子ね……」。
「気持ち悪い子……。オレのことが見えるんだな。どう見えてる?」
「向こうへ行って!」
フードの下の顔が影の中に消える。
再び影から出てきたのは、哄笑する骸。
(こうしょう)大口をあけて笑うこと。
「お前はもう生きていない。必要の無い魂だ。
10秒やる。10数える間に、消し飛ばされるか喰われるかを選べ。」
「いや……。いやや! あっちに行って!」
「10……。
気が変わったもう終わりだ。 0。」
骸の顎が開く。
その奥にあるのは虚無。
生も死もない虚無である。
「いやあーー!」
さっきも言うたけど、ボクはガキやった。
よくわからんもんを食べると、腹を壊す。
そんなこともわからんくらいにね。
story2
オレは自分がどこで生まれたかを知らない。
オレだけではない。死界に生きる者はみんな、自分がどこからやってきたのかを知らない。
ただ、何をするかだけ知っている。
ヴェレフキナは重たい瞼を押し上げ、ぼやけ歪む視界が、元通りになるのを待った。
いつもと変わらぬ世界が広がっている。
陰気で冷たい世界。
ようやく自分が死界に戻って来たことを実感する。
「相変わらず、何にもねえ。」
この何もない世界に生まれた自分が、なぜか自分の役割だけは知っていて、守っている。
それが自然なことと思えたから、ヴェレフキナはその衝動に従っている。
無論、やり方も自分の衝動に従った方が自然だと思っている。
イザヴェリの言うように、あの魂を死界に送り返すことも、やり方のひとつだ。
だが自分はあれを喰ってみたかった。
だからそうした。
「気持ちわりぃ……。」
〈死喰〉であるイザヴェリと違って、自分は食べることには向いていないのだろう。
さきほどから、感じの良くない眩暈に襲われている。
食べることは自分の〈自然〉ではない。
(めまい)
「それがわかっただけでも良しとするか。」
”せやな”
ヴェレフキナは咄嵯にこめかみを押さえた。
声が聞こえた気がしたのだ。
だが、待っていても声は聞こえなかった。
ただの幻聴だったのだろうか?
「気のせいか。」
”違うよ”
声の言う通りだ。女の子の声か。
それらしきものが脳中に響く。
間違いなく、自分のほかに、自分の中に誰かいる。
「お前、誰だ! さっきの女か?」
”違うよ。それはたぶんワタシのお母さんや”
「訳のわかんないことを言うな。とっととオレの中から出て行け、クソヤロー。」
そこまで言ってヴェレフキナは、あの眩暈が、
自分の魂に別の魂が癒着していたことが原因だと気づく。
「チッ!!」
”なんでやねん。ワタシ、まだ消えたくないから、いやや”
声はさらに続けた。
”まだワタシ、海見たことないもん”
***
「赤子の魂ね。」
「赤子?」
「本体である女の中に、生まれる前の子どもがいたのよ。
だから魂にも、その子の魂が混ざり合っていた。そういった魂は生への執着心がすごいわ。
私でも食べるのに苦労するのに、〈死喰〉でもないあなたが食べれば、体に異常をきたすわよ。」
「どうすればいい?」
「放っておけば。そのうち治るわよ。」
「そのうち、どのくらいだ?」
「100年はかからないわよ。」
「なんでやねん。」
「何? その言葉?」
「ん? くそ! 妙な言葉がうつった。」
”せやな。”
「うるさい!」
***
”ワタシ、自分から消えるつもりないで”
もう何度も繰り返された問答である。
出て行け。出て行かない。
「いい加減にしろよ。
その気になればオレもろとも消すことはできるんだぞ。」
”そんなことしたら自分が死ぬやん。そ、それでもええん?”
「それくらいの覚悟はある。舐めるな。」
そして、確信できることがひとつある。
自分が消えたとしても、死界は、また誰か同じ役目を担う者を生み出すだろう。
自分ではない何かを。
ヴェレフキナは自然とそれを理解していた。
だから、自分が消えたところで何も問題はない。
自分が消えるだけだ。
”いやや、ごめん。いまのは言い過ぎた。
ワタシは消えるのはいやや”
「調子が狂う……。」
”海、見たい
海見たら満足して、キミの頭の叫lから消える”
本当か?
”ホンマに。……たぶん”
「海か。」
***
”何、ここ?”
「海だ……。」
ヴェレフキナは海に来ていた。死界の海に。
「どうだ。満足したか?」
”きったな。めっちゃきたないやん”
死界一面に広がる闇の空を映し出し、死海の海は黒かった。
水面には骸が浮かび、鬼火が昇る。
風もなく、ただ不愉快な湿気とともに、富栄養な海の臭気が流れてくる。
”これホンマに海なん?¨
「ホンマに海だ。」
”ホンマのホンマ?”
ホンマのホンマ。
いつか誰かが言った。
あるいは自分たちを生んだのは、魂が煮詰められたような、この海ではないか、と。
ヴェレフキナには、その考えが〈自然〉だと思えた。
”こんなん海ちゃうわ¨
「は? 何言ってるんだ、ここは海だ。
とっとと消えろよ。
”むーりー
ワタシがお母さんのお腹の中で聞いたんは、もっときれいなところです。
だから、むーりー。消えるのむーりー”
「……この野郎。
しばらくは、その声にイラついてたな。
それこそ自分の頭の中をかきむしりたいくらいやった。
しばらくはな……。
story2-2
その時、ボクらの目の前にいたのは、魂が混ざり合った化け物やった。
¨あれはなんでああなったん?¨
「何かの事故で、ひとつの体に魂がふたつ入った。
元々は人だったものが、化け物になったんだよ。
¨あれをどうするん?
「消し飛ばす。
¨あかん。やめて
「無茶を言うなよ。あんなものを生かしておいても仕方がない。
それにもう、ふたつを引きはがすのは無理だ。
”できるよ
ボクはなぜか頭の中の声に従った。煩わしいと思い続けていた、声に。
さて、問題や。
その時ボク、いやボクらはどうやって、魂を引き離したのか。
簡単だ。その魂を自分の中に取り込んで、解体した。
。
たぶん、その時ヴェレフキナの中にいた別の魂に自分の魂を守るためのバックアップをさせたんだろ。
いつもと同じだ。ヴェレフキナの魂が乗っ取られかけても、私がヴェレフキナの魂をすくい上げる。
そうや。正解や。
いまのボクらと同じように、お互いの記憶を守り合えば、相手を取り込むという行為の危険度も少なく出来る。
問題にもなっていないぞ。
いまはな。けどあの時はそんなやり方はなかった。
オレは〈死喰〉じゃない。相手を取り込んで解体するなんて真似はできない。
それこそお前を喰ったのとは比べものにならないくらいの難易度や。
”でもワタシがヴェレやんの魂を守っておけば、いざという時助かるんとちゃう?”
「なるほど……。確かにお前の魂を逃げ口にしておけば、……って誰がヴェレやんや!」
で、成功したんだろ。
当たり前や、それが出来てなかったら、いま頃ここにボクはおらん。
「さて、やるか。」
story2-3
「うるあああああ……!!
¨キミ。反発したらあかん!¨
別の魂を自分の体の中に入れる時、一番の問題は拒否反応や。
体が異物を飲み込んだ時に吐き出そうとする反応。
それを制御することが大事や。
が、がああああ……!
¨そいつはキミの敵と違う。仲良くするんや。友達になろうって思うんや!¨
ト、モダ………チ。
そんな言葉はその時初めて知ったな。
だからそう言われても、どうすればいいかわからんかった。
意味……わかんねえ……よおッ!
¨ワタシとキミみたいなもんや!¨
そう言われて、ようやくその時のボクも合点がいったんや。
ボクとアイツはトモダチなんや、って。
「はァ……、はァ……。
ヴェレフキナは息を整えると、宙に向けて紫煙を嘆き出した。
それは無害となった魂。ただ救いだけを求める魂だった。
宙の中へ溶け込んでいく様子を見て、ヴェレフキナは体に残る疲労感が心地よく感じた。
と、自分の気持ちを知ってか知らずか、頭の中の声が彼に言った。
”やるやん
ヴェレフキナは笑って答えた。
「せやろ。
”死んだらどうなるん?¨
頭の中の声がそんなことをヴェレフキナに尋ねた。
「死界に行く。
¨それはわかってる。死んでイザヴェリに食べられた後、ワタシはどこに行くん?¨
「それは……わからない。
死ねば魂は死界に行く。
死界に行けば、魂はイザヴェリに喰われ、真っ新な状態になり、輪廻の輪に加わる。
ではその後は? 真っ新な状態とは?その時、削ぎ落とされた「ワタシ」はどこに行くのか。
それはヴェレフキナにもわからなかった。
彼自身も、己が魂を消した時、「自分」がどこへ行くのかわからなかった。
「自分」や「ワタシ」は、所詮魂に乗せられた記憶でしかない。
輪廻に必要なものではないのだろうか……。
ヴェレフキナが黙っているのを知り、声は話題を変えた。
¨キミはどこから生まれたん?¨
「たぶん、死界の海だ。
あの海で生まれ、〈自然〉の摂理に従うように、それぞれの役目を守っている。
生きることに飽いたなどと囁くイザヴェリですら、本能に従い〈喰らう〉という己が持つ〈自然〉には抗えない。
自分も同じである。〈自然〉に従い、道を外れた魂たちを鎮めてきた。
その時ボクは思ったんや。自分はまだ生きていないって。
「海、見に行ってもいいぞ。
¨ん? どういうこと?¨
「海を見に行ってもいいぞってことだ。お前が見に行きたがっていた、海を。
頭の中の声は笑っているのだろうか。それはわからない。
”見に行ってもええで。やで”
でも、たぶん、笑っている。とヴェレフキナは感じた。
「見に行ってもええで。」
ヴェレフキナは笑っていた。
こんな心地の良い笑いは、生まれて初めてである。
”おおきに”
と、頭の中の声は返した。
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