昇平楽・ストーリー・山鬼谣
山姥謡「ヤマウバヨウ」・弐
新たな仲間。
陶舞:ゴホゴホ……またホコリまみれじゃない?毎日ここに住んでるんだから掃き掃除くらいしないと……
瑪瑙つみれ:……
陶舞:それに、お供物は食べてもらうためにあげてるの。そこに飾ってどうするつもり?腐っちゃもったいないでしょ!
瑪瑙つみれ:私の記憶がおかしいのか?もうここには来るなと言ったはずだろう……
陶舞:あれ?なんて?そんなことより、見て!桃に小さい虎を彫ってみたの!かわいいでしょ〜
瑪瑙つみれ:虎?豚の間違いでは?
陶舞:豚って何よ!おでこに「王」って書いてあるんだから、どう見たって虎じゃない……
瑪瑙魚圓は拗ねた陶舞を無視し、供物台にいっぱい並べられた桃を睨み、嫌そうに言った。
瑪瑙つみれ:一体、どこからこんなにたくさんの桃を?西荒はどこも行き尽くしたけど、桃の木なんて見たことないわよ。
陶舞:もちろん私なりの方法があるのよ〜気になる?
瑪瑙つみれ:……まさか盗んだんじゃないだろうな。
陶舞:そんなわけ!……ちょっと!どこ行くの?
瑪瑙つみれ:堕神を殺しにいく。ここにいるのは構わないが、最近は物騒だ。供物台で死なれては困るぞ。そこは私のベッドなんだから。
陶舞:……相変わらず口が悪いね。心配の言葉くらいかけてくれたっていいのに……正直じゃないんだから!意地っ張り!
瑪瑙魚圓の後ろ姿に向かってベロを出すと、愚痴をこぼして満足したのか、陶舞はまた嬉しそうな笑みを浮かべた。彼女は壊れた白虎神像の前に立ち、ホコリのついた額に頬を当て優しくスリスリした。
陶舞:怖くなんかないもん。だって……私のことを守ってくれるでしょ?
そう言うと、冷たい秋の風が寺に吹き込み、返事をするかのように彼女の優しい頬を掠めた……
───
一方。
瑪瑙つみれ:……錯覚か?堕神がますます増えたような……
瑪瑙つみれ:まあいい。何人いたって全部殺せばいい話。
瑪瑙魚圓は笑いながら刀を掲げ、西荒の果てしない怨念によって変貌した堕神たちに一人で立ち向かった。赤い瞳が火のように燃え上がり、全てを呑み尽くす勢いで、乾いたひび割れた地面に邪怪の熱い血が注がれていった。
彼女は戦えば戦うほど快楽を感じ、狂気的な笑い声が堕神の怒号に響き渡った。山を揺るがす勢いで、敵国に攻め入るように荒れた西荒の郊外を一掃した。
瑪瑙つみれ:ハッ!ゴミども、これでもう終わり?私はまだ遊び足りないぞ!
???:殺す……殺してやる……殺す……!
瑪瑙つみれ:なんだ?
騒がしい堕神が消え、人間の弱々しい声が鮮明に聞こえた。瑪瑙魚圓は声の元を辿ると、堕神に押しつぶされそうになっている人間の少年が見えた。弱そうな枝を懸命に堕神にぶっ刺している。
???:死ね!堕神!殺してやる!殺してやる!
瑪瑙つみれ:……
少年の体の上にいる堕神はびくともせず、さらに口を大きく開けて彼を飲み込もうとしている。瑪瑙魚圓は目を光らせ、すぐに持っていた弯刀を振り、堕神の頭を斬り落とした。
???:!!くっ、お前……。
瑪瑙つみれ:坊や、大口を叩く前にまずは自分が置かれている状況を見てみたらどう?堕神を殺す?危うく自分が堕神に飲み込まれるところだったぞ。
???:し、知るか!あいつらは俺の家族を殺した。だからあいつらの命も奪ってやるんだ!
瑪瑙つみれ:……気持ちはわかるが、身の程知らずはバカだ。家はどこだ?送っていく。
???:もう家なんかないよ……
西荒の人々は離れ離れになり、家を失った。少年の話も珍しいことではない。だが、瑪瑙魚圓は静かに彼の話を聞いた。
???:父ちゃんと母ちゃんが死んだ後、じいちゃんが俺を売ろうとしたんだ。でも、ばあちゃんが猛反対して、俺を逃がしてくれた……でもまた家に帰ると、じいちゃんとばあちゃんはもう堕神に……
???:身の程知らずでもいい、バカでもいい。俺は絶対にあいつらを殺して仇を討つんだ!
瑪瑙つみれ:……あんた、なんて名前?
張千:え?俺は、張千……
名前を聞いた瑪瑙魚圓は頷くと、張千の抵抗を無視して彼を肩に担ぎ上げた。
瑪瑙つみれ:私は瑪瑙魚圓、覚えておいて……これは西荒で唯一あなたを助けられる命の恩人の名前よ。
───
……
陶舞:張千っていうのね?私は陶舞!魚ちゃんのお友達よ〜
瑪瑙つみれ:誰が友達だって?それに、魚ちゃんって何よ。
陶舞:へへ、魚ちゃんのことは無視していいわ。彼女は恥ずかしがっているだけなの。はい、桃でも食べて。
張千:ありがとう、陶舞姉ちゃん……お、豚を彫るのがうまいね。本物そっくりだ。
陶舞:……
怒りながらもそれを言えない陶舞の姿を見て、瑪瑙魚圓はすぐに愉快になった。彼女は供物台に寄りかかり、二人を揶揄うように笑った。
瑪瑙つみれ:あはは――まさか独り身の山の精霊であるこの私に、娘と息子ができて家族の幸せを味わえる日が来るとはねえ!めでたいわ!めでたいわ!
陶舞:だ、誰があなたの娘よ!
張千:そうだ!恥知らず!!
瑪瑙つみれ:恥知らず?じゃあタダ飯食べてタダで暮らしてるあんたは?
張千:か、借りは返す!
瑪瑙つみれ:大口を叩く前にまずは自分が置かれている状況を見てみたらどう?もう忘れちゃったの?今のあなたには何もないわ。どうやって借りを返すの?
張千:あんたには関係ない!とにかく……男に二言はない!
瑪瑙魚圓は自分の腰くらいの背丈をした男の子を見下ろし、あの日白虎神像の前に跪いていた敬虔な老婦人を思い出した。か弱くも固い意志を持った目が、今彼女の前に再び現れた。彼女は思わず微笑み、張千の頭を無造作になでた。
瑪瑙つみれ:わかった、楽しみにしてるわ。
山姥謡「ヤマウバヨウ」・参
山姥と英雄。
子ども:嘘つき!父ちゃんと母ちゃんは、寺に住んでるのは山姥で、ヒーローなんかじゃないって!
張千:フン!それはお前の親が無知なだけだ!まったく、お前たちみたいなガキは、昔の西荒がどんなものだったか知らないんだから――お前みたいなちっこいやつを一口で丸呑みする堕神が至る所にいたんだぞ!
子ども:そんなに怖いの?でも西荒で堕神を見たことなんてないよ?
張千:それは全部、瑪瑙魚圓のおかげだ!
子ども:瑪瑙魚圓?
張千:寺に住んでるヒーローさ!万夫不当の強者!たった一人で千軍万馬に立ち向かう!どんなに恐ろしい堕神だって、彼女を前にすれば跪くしかないんだ。
子ども:す、すごい!
張千:そりゃそうだ!こんなに強くて私利私欲のない人のことを、山姥だなんて!いけないことだろ?
子ども:ごめんなさい……今すぐお家に帰って父ちゃんと母ちゃんに教えてくる!寺にいるヒーローに供物をたくさん持っていってもらうんだ!
張千:へへへ、いい子だ。クルミをたくさんお願いな!
瑪瑙つみれ:…………
張千:うおお!びっくりした!な、なんだよその暗い顔は?堕神をやっつけ足りないのか?
瑪瑙つみれ:お前……暇があればすぐに外であることないこと言いふらす癖はいつ治るんだ。供物が溢れているのが見えないのか?寝る場所までないんだぞ……
張千:だって本当のことだもん!毎日郊外で堕神を殺しに行ってたんだ。西荒が今日という日を迎えられるのも、全部君のおかげじゃないか。平和が戻った今、みんなで君にお供えすることの何が悪いんだ?
瑪瑙つみれ:悪い。食料の無駄だ。それに……。
瑪瑙つみれ:堕神は私に殺されるために存在する。私はただ当たり前のことをしただけだ。なのにお前は凡人たちに供物を持って来させるなど、まるで私が彼らの食べ物を欲しがっているみたいじゃないか。
張千:僕は……僕は代わりに怒ってるんだ!あいつらは君のことを山姥だって、寺まで壊そうとした……あんな恩知らずなやつらを守ってるんだ。少しくらいせしめたっていいだろ!
瑪瑙つみれ:バシッ――そんな汚い言葉、どこで学んだ?
瑪瑙魚圓は眉をしかめて張千の頭を叩いた。人が痛がっているのを見ると、笑いながら叩いた場所を撫でた。
瑪瑙つみれ:山姥でもヒーローでもどっちでもいい。他人にどう思われるかはそんなに大事か?自分の生き方は自分が知っていれば十分だ。
張千:……
張千は何も言わないが、その顔はすっかり感心しているようだ。瑪瑙魚圓は彼が反省しているのを見て、痩せた小さな肩に腕を回し、山のほうに押した。
瑪瑙つみれ:さあ、帰るぞ。好きなものを選べ。残ったものはみんなに返してこい。
張千:そう……
───
道中、二人はふざけながら寺に戻った。扉を開けると、悩んだ顔をした陶舞がいた。
瑪瑙つみれ:どうかしたのか?何そんなところでぼーっとしているんだ?
陶舞:あ、帰ってきたんだ……ううん、こんなにたくさんのお供物、どうしようかなって……
瑪瑙つみれ:ほら、困らせただろう。
張千:僕……陶舞姉ちゃん、心配しないで!今すぐ、食べ切れない供物を返しに行ってくる!
陶舞:待って……もうすぐ日が沈むわ。明日にしよう!
張千:大丈夫、僕足が速いんだ。すぐに帰ってくるよ!
陶舞:……
陶舞は遠ざかっていく張千の後ろ姿を見て、なぜだかすごく心配した顔をしている。瑪瑙魚圓もそれを見て、聞かずにはいられなかった。
瑪瑙つみれ:本当に大丈夫か?
陶舞:だ……大丈夫です……
陶舞は夢から覚めたように瑪瑙魚圓に向かって笑ったが――彼女は陶舞を疑ったことはない。
その夜、張千は帰らなかった。
山姥謡「ヤマウバヨウ」・肆
張千失踪する。
瑪瑙つみれ:陶舞!張千は帰ってきたか!?
陶舞:ま、まだ……
瑪瑙つみれ:まったく……もう一晩経ったっていうのに、あいつはどこに行ったんだ……
陶舞:魚ちゃん……族長たちに聞いてみるのはどう……?
瑪瑙つみれ:族長?
陶舞:うん……西昧族の族長。西荒で起きたことはある程度知ってるはず……
瑪瑙つみれ:……そのなんとかの族長は今どこに?族長のところに連れていって。
───
二人は光の速さで寺を出発し、山の麓までやってきた。瑪瑙魚圓にとって予想外だったのは、族長を探しに行く途中で悲鳴が聞こえたことだ。
女性:我が子よ……我が息子(娘)よ……
男性:泣かないで。知っているでしょう……泣かないで……
瑪瑙つみれ:……一体どういうことだ?行方がわからないのは張千だけじゃない?どうやら簡単じゃなさそうだな……
陶舞:……魚ちゃん、着いたよ……
瑪瑙つみれ:ああ……とにかく、まずは張千を探すぞ。
───
西荒会館
西昧族族長院
瑪瑙つみれ:じいさん、10代のガキンチョを見なかったか?背はこれくらいだ。昨日の夜から帰ってきていない。
族長:おぉ、山神様でしたか。遠くからわざわざお越しいただきすみません。
瑪瑙つみれ:山神?本題に入るぞ。質問に答えろ。
族長:はい……お探しになっているのは張千でしょう。あの子を知っていますよ。昔はよく一族の子供たちと遊んでいたものです……
族長:まさか、彼が山神様の親族だったとは……はあ、もっと早く知っていれば。その時、誰かに報告させるべきだった、そうすればあんなことには…
瑪瑙つみれ:おい、会話ができないのか?さっきから何わけのわからないことを言っている。私は、張千を見たか聞いているのだ!
族長:み、見ました……あの子は昨晩、数十人の子供たちとともに、玄武帝の兵士に連れて行かれましたよ……
瑪瑙つみれ:玄武帝?右も左もわからない子供を連れて行ってどうするつもりだ!?
族長:山神様はご存知ないかもしれません。玄武帝は不老不死を手に入れるため、山河陣に捧げるための大量の命が必要なのです。あの子たちは、みな生贄になったのですよ!
瑪瑙つみれ:!!
───
……
白酒:……
胡桃粥:私もかつて、彼女と一緒に経験したことはありません……全て陶舞さんが教えてくれました。
白酒:そんなことが……だから初対面の時も、あんなに敵意を向けてきたのか。
胡桃粥:……張千の失踪は山河陣と関係があるはずです。あなたが神君から食霊に生まれ変わったのも、山河陣が理由でしょう……おそらく、彼女はあなたと手を組み、張千に関する手がかりを見つけたいのだと。
瑪瑙つみれ:じゃあ言うが、予想は外れだ。
胡桃粥は少し驚いて振り向いた。瑪瑙魚圓が木の後ろから姿を現し、二人に向かって歩いてくる。彼女は無表情で、口調からも感情が聞き取れないため、胡桃粥はさらに固唾を飲んだ。
瑪瑙つみれ:安心しろ、怒ってなどいない。ただ、それはもう昔の話だろう。張千は人間、玄武は神君、そもそも一緒にするべきじゃない。
瑪瑙つみれ:私が頑なに聖教を滅ぼそうとしているのは、そうしないといけないからだ。
白酒:どういうことだ。
瑪瑙つみれ:西荒の人々が私のことを山姥、山神と呼ぶのはなぜだと思う?
白酒:……どうして?
瑪瑙つみれ:私に御侍がいないからだ。いや……私に御侍はいる。でも私の御侍は特定の誰かじゃない。西荒の人々、一人一人だ。
白酒:西荒……の一人一人?
予想通り困惑している白酒を見て、瑪瑙魚圓は長話をする準備ができたように、振り返って木の下にある丸い石に腰掛けた。彼女は顔を上げて枝の影を見つめながら、堂々としながらもどこか悲しげな様子は、物語の中の山姥と姿が重なっていった。
瑪瑙つみれ:西荒の人々はあの古びた寺で、石で作られた白虎神君に幾多もの願いを唱えた……それらの願いで作られた希望の力、その信仰が……私を召喚した。
瑪瑙つみれ:だから、西荒の人々の身に関わることは……いや、耀の州の仲間たちの安全を脅かすようなことがあれば、必ず私がやらないといけない。それに……
彼女は下を向いて何もない手のひらを見つめ、ゆっくりと拳を握った。
瑪瑙つみれ:私は西荒の人々の願いによって生まれたが、その願いは私に祈るはずではなかった……白虎は自分に捧げられるはずだった信仰を私に奪われたことを恨んで、私の体内に怨魂を生み出した。
胡桃粥:そんな……!
瑪瑙つみれ:わかるんだ。それはこの体を欲しがっている、渇望している……だから私は殺さねばならない。
彼女は白酒の次第に縮小していく瞳孔の中で温い笑みを見せた。その笑みを見て、白酒の長い間眠っていながらもまだ若い情熱が共鳴するのを感じた。
瑪瑙つみれ:山河陣はあなたの体から玄武の記憶を抜き出して、あなたを白酒に生まれ変わらせることができるなら……白虎の亡魂を徹底的に消し去って私の自由を取り戻すこともできるはず。
瑪瑙つみれ:どう?この答えで満足したか?
山姥謡「ヤマウバヨウ」・伍
玉京出征。
胡桃粥:私は……何も知らなかった……
瑪瑙つみれ:知らなくて当然だ。話したことがないんだから。
胡桃粥:……
瑪瑙魚圓は彼女なりの優しい口調で慰めたが、胡桃粥は釈然としていないようだ。白酒は二人の間を流れる複雑な雰囲気の中、しばらく黙っていたが、ようやく口を開いて沈黙の気まずさを破った。
白酒:……じゃあ、失踪した張千は探さなくていいのか?
瑪瑙つみれ:探すさ。でもあなたに力を貸すこととは別だ。張千の失踪は……山河陣のせいじゃないかもしれない。
胡桃粥:え?
瑪瑙つみれ:陶舞はやはり全てを教えてあげられなかったみたいだな。実はな、族長の話を聞いて、私は玄武と蹴りをつけるために玉京に行こうとしたんだ……
───
西荒
荒廃した寺
陶舞:魚ちゃん!魚ちゃん……も、もうちょっと考えてみて……
瑪瑙つみれ:これ以上何を考えるっていうんだ?これ以上何を考えるっていうんだ?言われた通り、軽率な行動は取らないで玉京に行くよう上奏文を出した。だが結果は?
瑪瑙つみれ:山河陣が信用できないこと、人の命に関わること、私がひたすら堕神を殺して彼の耀の州を守ってあげていたこと、全て言ったぞ!それなのにどうだ。「どうすることもできない」……
瑪瑙つみれ:ハハハ――たった一言、「どうすることもできない」だと!どうすることもできないなら、私が殺したってどうしようもないだろう!
陶舞:お、落ち着いて……今日行けば、白虎と玄武の宗族戦が始まるだけ。人々が一番望んでいないのは戦争よ、魚ちゃん……生まれたのは白虎寺だけど、だからって白虎みたいになっちゃだめでしょ!
瑪瑙つみれ:?
陶舞の突然の言葉に、瑪瑙魚圓はどうしたらいいかわからなくなった。質問する間も無く、族長が大勢の兵馬を連れてやって来るのが見えた。
族長:山神様。お久しゅうございます。
瑪瑙つみれ:じいさん、これは一体?
族長:玉京へ連れ去られた張千を助けに行かれるのでしょう?
瑪瑙つみれ:だったら何だ。
族長:玉京への道は険しい。たとえ山神様が偉大な神通力をお持ちでも、一騎当千とは参りませぬ。それで時間を無駄にするのも如何かと?それに、張千は我が西昧族の仲間です。黙って見ているわけには参りません。
瑪瑙つみれ:つまり、こいつらも一緒に玉京に行くと?ふっ、これじゃあ本当に玄武との戦いが始まるようだな……
陶舞:……
瑪瑙魚圓は急に嘲笑うのをやめた。先ほどまで彼女を必死に止めていた陶舞が何も言わずにいるのだ。彼女は突然あることに気がついた。あの族長がいる場では、陶舞は口数が格段に減る。
瑪瑙つみれ:……そうと決まれば、ちゃんと着いてこい。遅れても知らないぞ。
族長:はい、山神様。
瑪瑙つみれ:陶舞、一緒に行くか?
陶舞:私……一緒に行く!
山姥謡「ヤマウバヨウ」・陸
陰謀と権衡。
瑪瑙魚圓は一人で万人の敵を相手にし、玄武の軍隊は次第に後退していった。道中、多くの人々が自ら「反乱軍」の陣営に加わった。白虎の旗は破竹の勢いで、順調に玄武の大殿に攻め入ることができた。
瑪瑙つみれ:なんだ?どうして誰もいない?玄武は?
兵士:山神様、おそらく玄武は山河陣の陣目に行ったのでしょう。
瑪瑙つみれ:……知っているなら、どうしてここに連れてきた。
兵士:玄武の権力を奪い、白虎一族がもう一度天下を取れるなら、山神様は必ずここに来なければなりません。
瑪瑙つみれ:……つまり、今日この日に玄武を支配の座から引きずり下ろし、白虎族が耀の州を統治する。それで私の力を借りて、まずは玄武大殿を占領したと……そんなの知っていたぞ。
陶舞:!し、知ってたの?
瑪瑙つみれ:とっくに気づいていた。じゃなきゃ、辻褄が合わない。お前らは、これまで張千を心配したこともなかった。長い間、山姥がいると言われるボロい寺に住まわせてたんだからな……それなのに、突然彼のためにこんな騒ぎを起こすなんて。
瑪瑙魚圓は冷たく笑い、前で敵を待ち構える兵士たちを見た。その目はゆっくりと怒りの火が燃え上がった。
瑪瑙つみれ:人に利用されるのは不愉快だが、王朝が変わるのはよくあることだ。私は止めるつもりはない、そんな暇もない……政権を奪うことと人を助けることは矛盾していない。私はただ張千がどこにいるか知りたいだけだ。
兵士:行方どころか、張千が誰かも知りません。
瑪瑙つみれ:なんだと?お前たちの族長が言っていただろう……
兵士:彼が玄武に生贄として捕らえられたというのは、族長があなたをここに連れてくるためにでっちあげた嘘ですよ。
瑪瑙つみれ:……
その瞬間、その場にいる全員が、ただでさえ冷たい玄武大殿に背筋が凍るような寒気が広がっていくのを感じた。
瑪瑙つみれ:私を騙した代償はわかっているだろうな。
兵士:我が白虎一族と精兵たちを再び天下に君臨させることができるのなら、死んでも構いません。
そういうと、大殿を埋め尽くすほどの兵士が一斉に跪いた。瑪瑙魚圓は彼らのまっすぐな背筋を見て、目が冷たくなった。
瑪瑙つみれ:たかだか帝位のためにそこまでするのか?
兵士:ただの帝位ではありません。我が西昧族がもう二度と貧しい西荒に苦慮させられぬよう、西昧の人々が耀の州の光を浴びられるようにするためです。
瑪瑙つみれ:……
兵士:山神様も西荒人だ。西荒の人々がどのような生活を送っているかご存知でしょう……私たちは着るものも食べるものもままならない。身を置く場所さえないというのに、玄武は何もかも手に入れている。それなのにさらに不老不死を求めるなんて……
兵士:彼は耀の州の人々に支持されるようなやつじゃない。王失格だ!
兵士の声が重いハンマーのように宮殿の美しくも脆い殻を割っていった。
兵士:そんな奴は王にふさわしくない!そして神は我が西荒に、そいつを王座から引きずり下ろす山神の力を与えてくれた。だからこそ今日、西荒の人々に泰平の世を取り戻すのです!
国と一族のために命を捧げる熱い激情が兵士の間に流れた。瑪瑙魚圓は冷たく疲れた様子で彼らを見つめ、そっと尋ねた。
瑪瑙つみれ:じゃあ張千は?
兵士:え……?
瑪瑙つみれ:張千だってお前たちと同じ西荒人だ。玄武を追い出すためなら張千の生死はどうでもいいのか?そんなの、あのクソ皇帝と同じじゃないか!!
そう言いながら、瑪瑙魚圓は怒りが込み上げ、目の前の兵士に弯刀を振り上げた。それを見た陶舞は、慌てて彼女の腕を引っ張った。
陶舞:魚ちゃん!人助けが先よ!張千は……ここにはいないかもしれないけど、山河陣を阻止できれば、もっとたくさんの人が救える!
陶舞の力では瑪瑙魚圓を阻止するまでには至らなかったが、彼女は動きを止め、未だ刃の下から逃げようとしない兵士たちを見つめた。
瑪瑙つみれ:お前たちを必死に助けた結果、どれも自分を犠牲にしようとするアホな奴らだけか……愚かだ……みんな愚かだ……
瑪瑙つみれ:陶舞、行くぞ。
山姥謡「ヤマウバヨウ」・漆
万人の命。
二人は玄武大殿を離れ、皇宮内を探し回ったが、玄武や生贄として捕らえられた者たち、張千の姿は全く見つからなかった。
陶舞:どうしよう、あまりにも広すぎる……生贄にされてしまう人たちがどこにいるのかもわからない……
瑪瑙つみれ:……わかってももう阻止できない。
陶舞:ま、まさか……!
瑪瑙つみれ:もう元には戻れない。
陶舞は雷に打たれたように呆然としている。しばらくして、静かにため息をついた。
陶舞:幸い、張千は連れ去られたわけじゃない……
瑪瑙つみれ:陶舞、張千がどこにいるか本当にわからないのか?
陶舞:俺だ……
瑪瑙つみれ:お前は族長と面識があるはずだ。それにいつだって彼の顔色を窺って行動している……そもそも、お前の提案がなければ、私は彼に会いに行かなかったし、こんな罠にもはめられることはなかった。
瑪瑙つみれ:お前は白虎族だろう?あの日、張千が山を下りて供物を返しにいったとき、彼はもう戻って来ないことに気づいていたんじゃないのか?
陶舞:ううん……私は族長が張千をだしにして、あなたを玉京に行かせることは知っていたけど、こんな方法だったとは……
瑪瑙魚圓はため息をつき、陶舞の顔を見ることなく相手の肩を寄せた。
瑪瑙つみれ:わかった、そうしよう。行くぞ。
陶舞:どこに……西荒に帰るの?
瑪瑙つみれ:いや……もう二度と西荒に帰ることはないはずだ。
───
……
瑪瑙つみれ:白虎一族は玉京を攻め入ることに成功し、西荒人も入京した。西荒は本当の荒野となったんだ。もう帰る場所ではない……
瑪瑙つみれ:陶舞と玉京を離れる道中、たくさんの東極からの流民に会った。自分の故郷が大変なことになっていると聞いて、何かできることはないかと見にきたと。
白酒:それでここをずっと守っているのか……
瑪瑙つみれ:だから誤解するな。私が玄武を憎んでいるのは、張千が理由じゃない。山河陣の目的は、玄武を不老不死にさせることじゃない。耀の州が二度と堕神に侵略されないよう守るためにある。ましてやそれは玄武自身の寿命を対価に……
瑪瑙つみれ:でも私は山河陣を認めてなどいない。
白酒は思わず彼女の方を見た。真っ直ぐで情熱的な赤い瞳は、白酒どころか玄武に対しても一ミリも恨みを抱いていないようだ。むしろ、果たせなかった野望に対する苛立ちと怒りのようだ。
瑪瑙つみれ:生きる血肉で戦うのと、命を空虚な実現できるかもわからないものに捧げるのは全く違う。
瑪瑙つみれ:私は自分の力で西荒を何年も守ってきた。それなのに、耀の州の食霊は一体どこに行ったんだ!?誰も山河陣より良い策を思いつけないのか?思いつけないのなら、どうして堕神と死ぬまで戦わない?血戦の兵士はどこに?罪のない人々の命を犠牲にして平和を取り戻す!?
瑪瑙つみれ:生贄は……人間だ、人間なんだぞ!どんなに自分が不運でも私のために怒ってくれる張千、朝早くから川の近くで喧嘩して騒がしい趙おばさん、静かに荷物を担いで腰をかがめる陳じいさん。みんな、たくさんの喜怒哀楽で満たされる人生を送るはずだった!
瑪瑙つみれ:みんな、家の温かいベッドでその人生を終えるはずだった。それがたとえ野原や湖海だったとしても、絶対に暗い穴蔵なんかじゃない。堕神の支配と皇帝の目先の利益のために死ぬべきじゃない!彼らはみんな人間だ。線香でも寿桃でもない。玄武の手に握られる勝算でもない!
白酒:……
瑪瑙魚圓の込み上げる怒りに対し、白酒は黙ることしかできなかった。彼はただ一人、瑪瑙魚圓の言葉に反論できず、玄武帝を恨む立場にも立てず、黙ってそれらを背負うことしかできなかった。
瑪瑙魚圓はそれを見て、つまらなくなった。彼女はため息をつき、手を振ると、いつもの様子に戻った。
瑪瑙つみれ:あなたが玄武の代わりに罵られる必要はない。玄武が神だったとしても、今はただの凡人にほかならない。何事も完璧にやれなど言えんだろう。それに、平和な今日を過ごせているのに、全ての過ちを彼に押し付けられない。
瑪瑙つみれ:私だってずっと西荒を気にかけていたのだ。以前は考えてもみなかった、耀の州に他にも苦しんでいる人々がいるなどと……悪の根源は堕神や無数の冷たい目で傍観していた人たちだ。悪いのは玄武ではない……
白酒:そなたの言うことは正しい。だが、俺は全てを玄武に押し付けて、自分だけ無実になるわけにはいかない……俺が玄武だったら、きっと彼と同じ選択をしていたはずだ。
瑪瑙つみれ:玄武は耀の州のために命を投げ出した。当然、敬意を払われるべき行為だ。だから私は彼を恨んでいるんじゃない。ただあの時の自分を恨んでいるだけだ。
瑪瑙つみれ:玄武は王であっても、親しい友人が何人かいるはずだろう?もし私が玄武の友人だったら、彼が自らを犠牲にしてあの山河陣を築くのを見たら、彼を憎んでボコボコにするだろう。
瑪瑙つみれ:私が大切にしている人は、自分の人生をとても大切にしていない……本当に歯がゆくなる。
白酒:嬢ちゃんの言葉は心に刻んで反省する。
瑪瑙つみれ:ふっ、やっぱり玄武のやつとは違うな。
白酒:これまで、俺と玄武の違いを一瞬で感じ取ったのは嬢ちゃんだけだ。
称賛し合い、今にも結託しそうな二人を見て、胡桃粥は思わず口を開いた。
胡桃粥:空はもう暗い。協力の話は一度ここまでにして、白酒さんは今晩東籬でおやすみなさってください。
白酒:……ではお言葉に甘える。
胡桃粥:あとで、荷葉鳳脯……彼女も私たちの仲間です。彼女がお部屋までご案内します。
白酒:礼を言う。
瑪瑙つみれ:そうだ、寝るときは気をつけるんだ。
白酒:?
瑪瑙つみれ:金髄煎は元々お前を嫌っていた。なのにお前は今日、この私に刀を向けただろう……
瑪瑙魚圓はそう言いながら、白酒に向かって陰険な笑みを見せた。
瑪瑙つみれ:こっそり部屋に入られて、殺されないようにな。
白酒:……
好時光「コウジコウ」・壱
約束と堅守。
白酒が出ていったが、胡桃粥はそこから離れようとせず、思い悩んだ顔で瑪瑙魚圓を見ている。
胡桃粥:……
瑪瑙つみれ:何か言いたくて堪らなさそうだな。私とお前の仲だろう?言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?
胡桃粥:……………………申し訳ありません。
瑪瑙つみれ:?お前が何をしたっていうんだ?
胡桃粥:あなたの意図を推測するような真似をするべきじゃありませんでした。あなたは……どうみたって人々のためにやっていたのに、私はずっと……彼一人のために無謀な行動をしているのだと……
瑪瑙つみれ:あら?つまり、いつも怒ってたのは張千にやきもちを焼いていたからか?
胡桃粥:と……とんでもない!は、恥知らずなお方だ……
瑪瑙つみれ:あははは――やっとお前らしくなった。あの時、お前の正直な性格が気に入ったんだ。これからは、何か悩んでいることがあるならはっきり言ってくれ。
胡桃粥:……コホン、恐れながら、陛下がそう仰るなら、言わせていただきます。
恥ずかしがっていた胡桃粥の顔が不敵な笑みに変わり、瑪瑙魚圓は思わず視線を逸らした。その足は、いつでも逃げられる準備までできている。
瑪瑙つみれ:陛下だなんて、急に何だ。そう呼ばれたときはろくなことがないんだから……
胡桃粥:聖教と山河陣の関係がわかりました。では、あの時の約束を覚えていますか?
瑪瑙つみれ:もちろん覚えている……
胡桃粥:「耀の州の他の場所で何が起ころうと、東籬の国には常に平和と安全のみがあり、もう二度と戦争や苦しみは存在しない」
胡桃粥:「東籬で菊を摘み、ゆっくりと南山を眺める」当時、この言葉を聞いて私は入京せずここに留まったのです……さて、陛下、この紙に書かれた約束を自らの手で破るおつもりですか?
そういうと、胡桃粥は懐から一枚の紙を取り出し、瑪瑙魚圓の前で広げた。瑪瑙魚圓は数秒ほどぼんやり見つめると、ゆっくり口角を上げた。
瑪瑙つみれ:おお?こんなにも経ったのに、まだ持っていたのか?よっぽど私の字が好きみたいだな?
胡桃粥:「平和」はこの世で最も価値のあるものです。嫌いになるはずありませんよ。
瑪瑙つみれ:ふん、つまらん……わかった。お前の考えはわかっている。ただ……
瑪瑙つみれ:お前は東籬で一、二を争うほど賢い人だ。だから「利害得失」の道理を知らないはずはない。平和を手に入れたいなら、耀の州の他の場所を見捨てて、この東籬の地だけを守るわけにはいかない。
瑪瑙つみれ:戦争をなくしたいなら、戦火の火種を全て握りつぶさないと。戦争から目を背けたり、自分を騙していても始まらない。
胡桃粥:しかし……
瑪瑙つみれ:私を信じろ。
胡桃粥:……
瑪瑙つみれ:私の体には白虎の愚かな好戦の血が流れている。でも、張千や陶舞のため、東籬の無数の民のため、そしてこの紙に書かれた約束のために…
瑪瑙つみれ:私は今日という平和を守り抜く。二度ともう、罪のない人を犠牲にさせたりしない。
瑪瑙魚圓の固い意志を持った目を見て、胡桃粥の口調も柔らかくなり、反論できなくなった。
胡桃粥:もちろん信じます。聖教の敵になることには口を出しません。ただ……
胡桃粥:これからは、何か考えがあるのであれば、まずは私に相談してください。今日のように、他人との話し合いを直接私に投げるようなことはもう二度としないでください。
瑪瑙つみれ:はいはいわかった……ん?やはりやきもちのようだな?
胡桃粥:………………かっからかわないでください。
胡桃粥は一瞬言葉を失い、袖を振り払ってその場を去ろうとしたが、瑪瑙魚圓によって引き留められた。
瑪瑙つみれ:待て、金髄煎を誘って酒でも飲みに行くぞ。彼も今日はイライラしているんだ。ストレス発散させないと。
胡桃粥:あれ?てっきり……鬱憤を晴らすために、白酒を襲わせに行かせるのかと。だから白酒に忠告を……
胡桃粥:つまり、単純に白酒がぐっすり眠れないようにするためだったんですね……
瑪瑙つみれ:ふっ、私に刀を向けたあいつが悪い。これくらいのイタズラ、受けて当然だ!
瑪瑙つみれ:そうだ、さっき、これからは結果を伝えるんじゃなくて、全部相談するようにって言っただろう……じゃあ、目的は多少なり隠してもいいってことだな?
胡桃粥:え?
瑪瑙つみれ:なんでもない、早く行くぞ!もたもたしてると、金髄煎が白酒を襲いに行っちまうぞ〜
胡桃粥:お待ちください、話を逸らさないで。何を隠すと?はっきり言ってください、ちょっと――!
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